ユーラシア紛争地特別フォーラム(2002年3月9日、早稲田大学小野講堂)レポート
●第3部(2) 寺沢スピーチ

遊行僧からみたユーラシア紛争地

寺沢潤世(日本山妙法寺)


祇園精舎の鐘の声

 南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。

 ただいまご紹介いただきました日本山妙法寺の寺沢潤世です。今回のユーラシア紛争地特別フォーラムにお招きいただきまして、一昨日インドの方から急遽帰らせていただきました。

 私は、アフガニスタンン地域の今後の動向について、不安のただ中で流れを見守っているわけです。この間5か月以上、アフガニスタン、パキスタン、お隣のインドをずっと遊行しておりました。仏教的なお線香くさい話になりますが、日本でもよく知られている「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ」というのがありますね。ヒンドゥー教の聖地とされる北インドのアヨディアというところで、ヒンドゥーの極右勢力がインドの世俗(セキュラリズム)社会全体の根幹を揺るがすような動きを始めているのですが、そのすぐ近くに祇園精舎があります。

 その祇園精舎にお参りする途中で、私も聖地奪回をめぐって一触即発のアヨディアにも寄りました。祇園精舎の遺跡の中に、日本の仏教徒が寄付した祇園精舎の鐘があります。私もお参りしたあとその鐘をつきまして、そのときに私の思いはアフガニスタンの戦乱のことに集中していました。そこでまず平家物語の冒頭を聞いていただきたいと思います。

 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり。娑羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、盛者必衰(じょうじゃひっすい)の理(ことわり)をあらわす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏(ひとえ)に風の前の塵に同じ」

 少しあとで古代のおごれる王朝が滅びていくことを例にあげた上で、こう答えます。

 「楽しみを極め諌(いさ)めをも思い入れず、天下の乱れんことをさとらずして、民間のうれふる所を知らざりしかば、久からずして亡じにし者共なり」

 祇園精舎の鐘をつきながら、平家物語のこの冒頭の一節を思いました。今まさに冷戦後、政治的にも経済的にもまた技術的にも情報掌握の上でも、世界史上最大の帝国が生まれようとしています。それが冷戦後の激動の一番大きな座標軸ではないでしょうか。

 私は今言いましたように、遊行僧としてここ10年、旧ソ連邦とユーラシアの各地を遊行してきました。遊行の生活とは家を出てどうするのか、お釈迦様の言葉にあります。

 「比丘(びく)たちよ、衆生(しゅじょう)の脱苦豊楽(だっくぶらく)のために律法世界を遊行せよ」

 家を出たあとは、一切衆生の苦しみを取り除き、喜びと楽しみを与えるために1か所に留まらず、世界中どこでも歩きまわりなさいというのが出家なのです。私は冷戦直後、湾岸戦争中もバグダードの空爆の下にいましたし、サウジアラビアとイラクの国境で、世界中から集まった人たちと人間の鎖を作って、ピースキャンプを設営していました。イラクのスカッドミサイルが飛んでくるときには、その渦中にもいました。ソ連崩壊から今日までの10年間、自分の脚と目や耳を頼りにして、遊行してまいりました。

 この冷戦後の10年間の激動はただ事では終わらない、必ず大変なことになるという予感を抱きながら、各地を回ってきました。そして、その予感が本当に見える形で、本当にショッキングな形で世界を揺るがしたのが9月11日、民間航空機が大量殺戮兵器となって、世界最強、世界最大の経済大国の中枢部を襲ったのです。そしてそれ以降、今日までの事態があるわけです。遊行者として見るとき、本当に大変なことになるということはどういうことかといいますと、これだけ情報技術が発達して、世界中のことが手にとるように分かるように見えながら、本当のものは何も見えない状態に、世界が現在おかれているということなのです。

印パの関係は一触即発

 自分の脚で歩き、自分の目で見て、自分の耳で多くの現地の人たちの声を聞きました。だから第1次情報をそのまま知ることができました。紛争各地をめぐってその場の声を聞き、その場の人の苦しみを我が目で見ました。そして、その実情がほとんど世界中の人たちに共有されないもどかしさを強く感じ、私はそれがやがて大変なことになっていくという強い予感を持ったのです。

 ひとつ例をあげれば、チェチェン戦争が今も続いています。それはソ連崩壊後の最も悲劇的な戦争ですけれども、ここではバルカン戦争以上に核兵器以外のあらゆる現代兵器が駆使されています。そして、攻撃を受けるのはほとんどが一般市民です。非戦闘員です。19歳以上の子どもも含めて男という男が、ほとんど強制収容所に連れていかれるか、あるいは家族の目の前で銃殺されるかです。そして強制収容所に連れられていったら、地獄のような責め苦と拷問が行われているわけです。

 ずっとほとんどの紛争地でこうしたことが起きていますが、これを変える術はほとんどありません。それはチェチェン問題だけではありません。今、国際政治においては、戦争が始まる前のアーリーウォーニング(早期警告)といって、いろいろとモニターしながら、紛争が勃発して暴力になる前に、これを何とか人道的な方法、あるいは武器を使って防止するという方法もあるわけです。もうひとつは戦争が起きてしまって、殺しあいが始まっている、それを何とか解決しなければならない、そういう段階に入っていることがあります。政治的交渉で解決する、あるいは、疲れ切って、破壊され尽くしてしまったあとでの紛争処理、再建という問題もあります。

 湾岸戦争、コーカサスの戦争、バルカンの戦争、中東の戦争も含めた上で、国際政治においては全て紛争解決に失敗している。成功例がひとつもない。この現実の中で、テロリズムが生まれてきているのです。

 この5か月ばかり、インドをまわっていてショッキングだったのは、アフガンではテロ撲滅の世界戦争が行われていますが、今、印パ国境では独立以来かつてない戦争勃発の危険な状態が続いていることです。この2か国は核兵器を所有しています。アメリカのCIAも、1か月程前にはっきり、印パ関係の緊張が核戦争を起こす可能性が高いことを警告しています。東西ヨーロッパで核兵器をめぐる緊張関係がかつてありましたが、現在の印パの緊張はそれどころではありません。いったん戦争が始まれば、通常兵器ではインドが圧倒的に有利なわけで、パキスタンは防ぎようがありません。それだけに先制核攻撃をする以外に、パキスタンは生き残る道はない。1980年代の冷戦のピーク以上に、危険性が高いのです。

 一方、今、インドではヒンドゥー右翼が、ヒンドゥーの「ラーマ神」の生誕地アヨディアに全国から結集し、モスクを破壊して、強力な反イスラム運動を展開しています。そこて発生するテロ攻撃にはインド政府はお手上げ状態で、「テロ攻撃はパキスタンがやっている。アメリカがアフガニスタンを攻撃したように、インドもパキスタンをたたく権利がある」として、この2か月ばかり国境まで軍隊を集結させて、いつでも攻撃できる態勢にあり、もし大騒動が起きれば、印パの関係は一触即発の状態です。そして、それが核戦争にエスカレートする可能性は本当に高いし、むしろそれを欲する勢力があるのです。

紛争の根本原因はエネルギー資源の争奪

 このように、ユーラシア各地で局地的に起きている紛争は、早期警告、事後の平和的解決等々含めて、ほとんど解決できる見込みがないのです。難民となった人たち、本当の紛争の犠牲者の人たちの悲惨な実態と彼等の苦しみは、ほとんど国際社会からは関心を持たれていないのが現実なのです。

 ところが、国際社会が関心を持つひとつの揺るぎない座標軸があります。それはソ連崩壊後だれが世界を制覇するかということです。世界の国々にとって21世紀は生き残りの世紀であり、欧米、日本も含めて現代文明を維持していくためには、エネルギー資源が必要なのです。エネルギー資源の枯渇は21世紀に入って既に秒読み段階となっています。ここ百年、イギリスの産業革命以来、今日までの間に、ロケットが空を飛ぶ勢いでエネルギー消費量が増えてきているわけです。この21世紀で、中国やインドや発展途上諸国が、欧米並みの文明生活、いわゆるライフスタンダードを確立しようとすれば、われわれの世代、次の世代のうちに、今のスタイルの文明世界を維持するためのエネルギー資源は、枯渇してしまいます。

 冷戦後のあらゆる紛争の基本的な座標軸は、この紛争を利用して誰が残った世界中のエネルギー資源を制覇するかという一点に収れんしているのです。ところが、そのことが紛争問題の中で、ほとんど語れらないのです。チェエェンもそうですし、今のアフガン戦争もそうなのです。これまで東西対立というかたちで、キャピタリズムとソーシャリズムが激しく軍事対立をしてきたのは、エネルギー資源コントロールの主導権を握るためでした。そしてコーカサスの紛争もソ連崩壊による力関係の再編プロセスの中で、中東にも優るカスピ海の石油資源、天然ガス資源をどのようにだれがコントロールし、商品化し市場に出すか、そのルートをだれが押さえるか、それが一番大きなモチベーションなわけです。アフガニスタンに対するソ連の侵攻もそのためだったと考えられます。

 アフガニスタンのテロ撲滅という名目による現在の戦争でおもしろいことがあります。それは、アメリカの戦争にロシアも中国も一緒に乗っかっていることです。「これまでそういうことはなかった。これは冷戦後に新しい可能性が生まれたと考えるべきだ。昨日の敵は一緒になって現代文明の悪をやっつけるようになった」などとイギリスのブレア首相が言っています。本音は、ユーラシア大陸のど真ん中にある、ソ連崩壊後最大の石油と天然ガス供給源、それを商品化するためにはどこかに運ばなければならない。そのパイプラインをどこに引くかという問題に収れんするのです。

 かつては西側とソ連が取り合いをしていました。コーカサス戦争でもチェチェン戦争でも、エネルギー資源の取り合いなんです。ところが、ロシアがそれをやめた。中国もアフガニスタンさえおさまれば、新彊ウイグル自治区の石油もガスも中央アジア、アフガニスタン、パキスタンを経由して、インド洋、アラビア海に出すことができます。ロシアも今度は一緒になって一番いいルートを確保しましょうと言っています。

 アメリカを先頭に文明の悪と決めつけて、今、アンチテロ世界戦争を今やっているのですが、なぜそれほどまでに、アルカイダ、オサマ・ビンラディンを悪玉に仕立てるのでしょうか。実は彼等が本当に恐れているのは、21世紀のエネルギーを支配する資源の生産地は、みなムスリム国家だということなのです。

 そして冷戦後今日までの紛争処理、すなわち湾岸戦争、パレスチナ問題、バルカン問題など、どの点をとっても見えるのは、欧米諸国のダブルスタンダードです。コソボでは、人権あるいは国際的人道的介入といった美名のもとに、N A T O軍がユーゴを爆撃しましたね。また、湾岸戦争では冷戦後のニューワールドオーダー(新世界秩序)を築くということで、多国籍軍とは名ばかりの米国軍中心の大規模爆撃によって、一方的にイラクを屈服させました。

 そして今、アフガンでは、文明に対する敵対者をやっつける世界戦争だという。いろいろと言葉は変わっていますが、そのすべては結局ムスリムに対する攻撃であって、ほんとうの正義でもほんとうの人権でもないということを、イスラムの民衆にすっかり見破られているわけです。そういう不満を全部集めて、欧米に牛耳られた現代文明に反対する大義をムスリムは持っているという考えのもとに、オサマ・ビンラディンは行動しているのだと思います。

 エネルギー資源は全てイスラム圏がもっている。このエネルギー資源という現代文明の大動脈をおさえてしまえば、現代文明は崩壊する。欧米の偽善者、無神論者、反イスラムをやっつけることができる――というのが彼等のジハードの論理なのではないでしょうか。それが実はアメリカにとっては一番怖い。こういう流れを追っていけば、確実に文明の衝突が現実化し、人類の未来は間違いなく第3次世界大戦に、向かって行くことでしょう。

 それではどうしたらいいかというのがもう一方の問題だと思います。

紛争の犠牲者は全て一般市民

 「文明の衝突と平和のあり方を探る−国家、民族、宗教を超えて」、これが今回のテーマですが、「超えて」どこへ行くのでしょうか。何がそれを超えさせるのでしょうか。今のところ、人道的介入あるいは国際法が根拠と言いながら、国家の間で武力行使をしているわけです。そして本当の犠牲者は全て一般市民です。それが今までの紛争の真実の姿なのです。

 ほとんど注目されていませんが、今度の印パ戦争の直前に、インドの国防大臣がとてもショッキングな声明を出しました。それは、「パキスタンが核兵器を使用してインドが核攻撃を受けたとしても、第1撃は耐えられる。そして、第2波攻撃でパキスタンを全面崩壊させる」というのです。驚くべきことです。平然と核攻撃でひとつの国を滅ぼすことを、1政府の1人の国防大臣が公言しているのです。そういうメンタリティと、ニューヨークの世界貿易センターに、民間航空機をハイジャックして突っ込んでいったメンタリティと、どこが違うのでしょうか。国家主権の名をもってすれば、そういう恐ろしいテロリズムが許されるのでしょうか。

 これはインドの国防相だけの話ではありません。現在、ブッシュ大統領、ブレア首相が推進している世界テロ撲滅の文明の戦争、これも結局同じ考えに過ぎません。一般市民の生命、生活を省みず、平然と彼ら頭上に爆弾を投下する。そういうレベルではテロリズムと同格です。そういう国家の武力行使のありかたそのものによって、10年、20年のあいだに、ますます行き場のない犠牲者となって世界中から放り出された人たちが、テロリズムへと走っていく。これが今回の世界貿易センターと国防総省に対するテロのような行為を生んでいく温床なのです。それを解決する考え方は、ブレアさんやブッシュ大統領の絶対的論理の中にはありません。彼らの本音は、世界のエネルギー資源の制覇にすぎないと思います。

本当の援助の理念とは?

 私は旅の僧として多くの紛争地を廻っていて、いつも常々残念に思うのは、何十万という難民の声が、戦争をしている国家の為政者たちに、一向に届かないということです。その難民のほとんどが自分の目の前で家族を虐殺されています。人間1人の生命は地球より重いとよく言われるように、1人の人間が死ぬということは大変なことのはずです。にもかかわらず、10万人、100万人となっても平然としている。それが今戦争を起こしている国家の為政者たちや、インドの国防大臣のメンタリティなのですね。それはテロリストのメンタリティと全く同一線上にあると、考えるしかありません。

 そういう世界中からギブアップされてしまった莫大な人数の難民たちが、チェチェンやアフガニスタン、あるいはパレスチナなどに存在しているのが現実です。そして私はいつも思うのですが、困っている人たち、服もない、食事もない。住む場所もない、学校もない、こういう人たちに対して、ただ「みんなで援助しましょう」というだけでいいのでしょうか。これだけでは、彼らはますます、そういう援助だけに頼っていく人間にもなっていってしまうのです。しかも残念ながら、彼らの憎悪の記憶だけは絶対に消えません。子どもたちのトラウマは、子どもたちの傷ついた心は癒されていません。それがそのまま、新たなテロリズムの世代を生んでいくのです。

 それでは私たちにどういう処方箋があるのでしょう。難民は難民であってはいけないと思います。自らの生命、自らの運命、自らの社会回復を主張し、紛争解決の場に自らの声を反映すべきです。ところが、現在の難民はものをもらう対象にしかすぎません。国連難民高等弁務官や、いろいろなNGOの人たちが、彼らを助けています。助けるということは必要であり、人道上うるわしいことかもしれませんが、どこを廻ってみても難民たちは本当に絶望しているのです。ものをもらうことで、彼らの傷が癒されるわけでもないのです。

 彼らは自ら平和に生きる権利があります。この平和に生きる権利を自ら行使するために、国際社会に政治参加する必要があります。そして私たちは、国際政治のシステムの中に、彼らが自らの権利を行使できるシステムを作るために援助すべきはずなのに、そういう援助が全く欠落しています。今の国家や国際的な機構の枠組みの中に、そういうシステムはありません。だからテロリズムが絶え間なく発生するのです。暴力の連鎖が断ち切れないのです。こういう援助こそ、ひとりひとりの市民の仕事ではないでしょうか。

 たしかに人道援助とか、いろいろな国際紛争解決を目的としたNGOがありますが、それらの組織は例外なく国の旗を持っているのです。日の丸のNGO、イギリスのNGO、フランスのNGO、EUのNGOといったように……。このような国の枠にしばられた活動は、せいぜい戦争している自分たちの良心の呵責を、少しでも和らげる緩和剤にしかすぎません。結局国益擁護の人道援助、あるいは国益擁護の紛争解決になってしまいます。そうではなく、本当に犠牲になっている人たちに、本当の権利回復の場所を提供するために一緒になって、沢山の市民たちが動かなくてはなりません。そのためにこそ、文化理解、現状理解が必要なのです。第1次情報が必要なのです。そのシステムをこそ、われわれはこれから作っていかなくてはならないのです。それこそが、国家とか、民族とか、宗教を超えた次の段階に見えてくる理念ではないかと思うのです。

日本国憲法の画期的な意義

 その理念を体現しているのが日本国憲法なのではないかと、私は考えています。ご存じのように、日本は国家主権として国際的に認められている交戦権の放棄を、憲法に明記しています。なぜでしょうか。日本は世界中の全ての人たちの平和的生存権を認めたがゆえに、国家主権としての生存権を放棄したのです。そして、陸海空の戦力は持たないことに決めたのです。これは平和憲法の画期的な第一歩だったのです。

 第2次世界大戦の後に、植民地から独立を果たしたアジアやアフリカの各国も、結局、従来の大国と同じ主権国家、近代国家のシステムをそのまま踏襲しただけで、これまでヨーロッパで築かれてきた近代国家を超えたわけではありません。それらの新興国家に分類されるインドとパキスタンにしても、独立以来ずっと引きずっているカシミール問題に象徴されるように、問題解決の糸口が見つけられないままに紛争の火種を抱え続けて、現在に至っています。

 こうした世界の状況に対する日本の平和憲法の本当に画期的な意義は、1人1人の平和的な生存権が国家主権の武力行使よりも上に立つということを、はっきりと打ち出したことだと思います。今こそこのことを、世界中の市民が主張すべきではないでしょうか。世界中の紛争地で起こっている悲惨な状況を打開する道は、これ以外にはあり得ないと思います。

 現在、世界が注目している多くの紛争の中には、ロシア国内のチェチェン紛争、中国国内のチベット問題、ウィグル問題などが含まれていますが、これらはいずれも大国のテリトリーの中の紛争です。ユーゴの指導者だったミロセビッチを国際法廷に引き出して、戦争犯罪を裁くことができましたが、大国であるロシアや中国に対しては、国内問題ということで、世界中が黙って見ていることしかできないのが、現状ではないでしょうか。

 その枠を壊せるのは私たち1人1人以外にはありません。私たちが文明の衝突を、そして世界戦争を回避できるとするならば、今ある道は、ひとりひとりの人間、世界中の一般市民が、近代国家から武力行使権を剥奪するために、勇気をもって立ち上がることだと思います。これで、時間が来ましたので、私の話を終わらせていただきます。有り難うございました。

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2003 ユーラシア紛争地フォーラム実行委員会