ユーラシア紛争地特別フォーラム(2002年3月9日、早稲田大学小野講堂)レポート
●第2部(5)出川氏発言

パレスチナに和平は訪れるのか?

出川展恒(NHK国際部記者)


パレスチナに今、何が起こっているか

 私は、かつて1994年から98年までイスラエルのイェルサレムに駐在していたので、パレスチナ問題を中心にお話したいと思います。パレスチナ問題というと、20世紀に起きた民族問題の中で最も解決が難しいといわれていて、とても複雑な歴史的背景を持っています。これを短い時間で全てお話することはとてもできません。そこで、ジャーナリストの立場から今なにが起こっているのかを、まず出発点にしたいと思います。

 というわけで、昨日つまり3月8日は、1日でパレスチナ人50人以上が死亡するという、2000年の9月に始まった今回の衝突の中で、最も悪い日となりました。実は私は昨日から今朝にかけて、そのニュースに対応していて徹夜になってしまいました。まずこれから本日(9日)午前7時台のニュース「おはよう日本」で放送したビデオを紹介します。

 ビデオは以上です。ご覧のとおり“血で血を洗う”ような報復合戦がエスカレートし、救急車まで狙われてしまう有り様で、大勢の民間人が死亡しています。パレスチナ側のテロも、しばらく前まではイスラエル軍とか入植地など、占領の象徴を狙うやり方をしてきましたが、ここにきてイスラエルの民間人までが、いわゆる自爆テロの犠牲となり、それに対してイスラエルのシャロン政権側は、過剰な軍事力を行使して報復しています。例えば、パレスチナの警察施設も、十分に過激派を取り締まっていないという理由から報復の対象となり、救急車も狙撃され、大勢のパレスチナ側の民間人が巻き込まれて死傷するという状態になっています。

紛争の長い歴史

 こんな状態にどうして立ち至ってしまったのか。長い歴史をかいつまんでご紹介しましょう。ご存じのとおりイスラエルの建国は1948年ですから、まだ独立してから50数年しか経っていません。もともと第2次世界大戦後まではイスラエルという国は存在せず、パレスチナの現在の地域はイギリスの委任統治領でした。それが、1947年の国連によるパレスチナ分割決議によって、イスラエルというユダヤ人の新しい国家が、パレスチナに出現しました。

つまり、従来からパレスチナに住んでいたアラブ系の人たちだけでなく、ユダヤ人にもこの地に国を持つ機会を与えることになったわけです。特にユダヤ人は、第2次大戦中にナチスの凄まじい迫害を受けて、600 万人ともいわれるほどの多数の人たちが虐殺されたため、その贖罪の意味も含めて、彼らに国を持つ機会を与えようというのが、国際世論でもあったのです。

 そして、イスラエルの建国つまりユダヤ人のパレスチナへの割り込みによって、当時パレスチナに住んでいたアラブ人のうち、約60万人が住む場所を追われて、難民となってしまいました。これが、そもそものパレスチナ問題の始まりなのですが、さらに1967年には第3次中東戦争が起き、ヨルダン川西岸地区、ガザ地区、ゴラン高原、さらにエジプトのシナイ半島を、わずか6日間でイスラエル軍が占領しました。

 これはイスラエル側から見れば大勝利、パレスチナにしてみれば悲惨な敗北であり、多くの地域をイスラエルに奪われたうえ、また新たな多数の難民がうまれてしまいました。その上、イスラエル軍は聖地イェルサレムの東半分にあたる東イェルサレムも一方的に併合を宣言し、イェルサレム全体はイスラエルの永遠の首都であるとして、東イェルサレムが占領地であることを認めない立場を主張しました。

 その後、複雑な紆余曲折を経た後1993年になって、ワシントンにおいて米国のクリントン大統領の立ち会いで、イスラエルのラビン首相とPLO(パレスチナ解放機構)のアラファト議長の間で、パレスチナ暫定自治合意(オスロ合意)が調印されました。これは非常に画期的なもので、ここで初めてイスラエルがPLOをパレスチナ人の正当な代表と認め、和平交渉を進めることになったのです。

 ところが、翌95年11月に、オスロ合意のイスラエル側の推進者であったラビン首相が、ユダヤ過激派の青年に暗殺されてしまいました。私はこの事件発生の1週間後に現地で取材をしましたが、恐らく生涯忘れられない体験だったと思います。この暗殺事件をきっかけにイスラエルの右旋回がはじまり、96年6月にネタニヤフ政権が誕生します。この政権下では、和平交渉は全く進展しませんでした。

 その後、99年には、和平推進派だったラビンの後継者とも言われるバラクによる、労働党政権が登場しました。ここから先は皆さんの記憶に新しいと思いますが、2000年7月には任期切れ間際のクリントン大統領が、キャンプデービットにアラファト議長とバラク首相を招いて、首脳会談が開かれます。2週間ほどの期間で全てのパレスチナ問題を一気に解決することを目指しました。ところが、聖地イェルサレムの帰属や難民帰還などをめぐって結局折り合いがつかず、この会談は不調に終わりました。

 そして、その2か月後、当時はイスラエルの国防相だったシャロン・リクード党首が、パレスチナ人及びイスラム教徒がメッカ、メジナに続く第3の聖地して崇めている東イェルサレムの「神殿の丘」(アル・アクサモスク)に強引に足を踏み入れたのです。これをきっかけに、このモスクの名を取って「アル・アクサ・インティファーダー」と呼ばれるパレスチナ側の激しい抵抗と、イスラエル軍の強硬な反撃、そして自爆テロの頻発という血なまぐさい武力衝突がエスカレートの一途をたどりました。さらに、昨年3月にはシャロン政権が誕生し、彼の好戦的なリーダーシップのもとに、いまや状況は最悪の局面を迎えているのは、ご存じのとおりです。

衝突がエスカレートする現実

 ここで考えてみたいのは、一口に「パレスチナ和平」といっても、当事者であるパレスチナ人とイスラエル人では、その意味する内容が大きく異なることです。パレスチナ人にとっての「和平」とは、長く続いたイスラエルの占領から解放され、国家独立の悲願を達成することです。そして当然ながら、イスラエルに占領されているガザ地区、ヨルダン川西地区の全域、そして聖地である東イェルサレムが返還され、東イェルサレムがパレスチナ国家の首都になることを意味しています。

 一方、イスラエル人にとっての「和平」とは何でしょうか。それは、占領地をパレスチナに返還することによって、イスラエル国家がアラブ諸国はもちろん国際的に承認され、この地においてイスラエル国家として安全に存続していけることだと思います。

 このように、それぞれのお互いに異なる内容の「和平」をイメージして交渉を進めてきましたが、ここへきてそれぞれのイメージはもろくも崩壊し、お互いに絶望感の中で衝突がエスカレートしてきているのが現実です。ここで、もう1本ビデオを見ていただきたいと思います。これは1998年、イスラエルが建国50周年を迎えた時点で、私がイェルサレムで作ったレポートです。当時、「ニュース・イレブン」という番組の中で放送したものです。

 このビデオに現れているように、当時はまだ和平プロセスに対する期待がありました。そして、和平交渉を成功させるためには、もっとお互いに理解し合うべきだという気運が存在していました。ところが、現在のように衝突がエスカレートしてくると、双方ともに全て原因は相手側にあるという偏狭な認識に逆戻りしてしまいます。そして、最も憂慮すべきことは、両方の側でこれまで「和平」を強力に支持してきたグループが、発言する気力をなくしてしまい、また敵対意識の高まりの中で、迂闊に「和平」を口にできないようなムードが強まっていくことだと思います。

注目されるサウジの新提案

 最後に和平の今後について考えたいのですが、まずは暴力の連鎖あるいはエスカレートする衝突を、どうしても沈静化することが重要です。ところが、双方のリーダーであるアラファト議長とシャロン首相の2人には、対話のパイプが全くありません。お互いに憎み合っていて、信頼関係はゼロになっています。そうなると、事態を打開するきっかけを作るためには、国際的な調停が必要となります。それに最も重要な役割を果たし得るのはアメリカです。

 それ以外のロシア、EUなどではイスラエルが耳を貸さないでしょう。建国以来これまでの関係からいって、イスラエルは基本的にアメリカの言うことなら、ある程度聞く耳を持っていると思います。アメリカのブッシュ政権は、発足以来、紛争を直接仲介することに極めて消極的でしたが、最近になって、やっと近く中東に特使を派遣するという決定をしました。また、パウエル国務長官による、イスラエルの過剰な武力攻撃非難の発言もありました。このようなアメリカの対応の変化によって、少し局面が変わる可能性があると思います。

 ところで、2月の末にサウジアラビアのアブドラ皇太子が提唱した、中東新和平構想が注目されています。これは同皇太子がニューヨークタイムズの中東専門記者との会見で明らかにしたもので、イスラエルが67年の第3次中東戦争で占領したヨルダン川西岸、ガザ、東イェルサレムから撤退すれば、アラブ諸国はイスラエルの生存権を認め、国交を樹立するというものです。

 この構想が明らかになると、さっそくブッシュ大統領が歓迎の意思表示をしたのをはじめ、アラブ各国も賛意を表わし、また、イスラエルのシャロン首相も関心を示すなど、世界の注目を集め、期待感が高まっています。今月の27、28の両日ベイルートで開催されるアラブ首脳会議の主要議題として討議されることになるでしょう。

 ただし、私としてはこの提案が実を結ぶかどうかについては、懐疑的にならざるを得ません。その理由は先に述べたとおりですが、それに加えてシャロン首相が率いる現在のイスラエル政権が、東イェルサレムを含む占領地からの全面的な撤退に応じる可能性は、限りなくゼロに近いと思われるからです。

 ということで決して楽観はできませんが、アメリカの姿勢の変化や、この提案がアラブの中で非常に影響力の強いサウジアラビアのイニシアティブであることは期待を抱かせます。パレスチナにおける暴力の連鎖が断ち切られる日が1日でも早く訪れることを望みながら、私たちは報道を続けていきます。有り難うございました。

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2003 ユーラシア紛争地フォーラム実行委員会