ユーラシア紛争地特別フォーラム(2002年3月9日、早稲田大学小野講堂)レポート
●第1部(4)ハルーン氏コメントアフガニスタンで何が起こっているのか
クレイシ・ハルーン(マスジド大塚理事)
「原理主義」はキリスト教の言葉
みなさんこんにちは。はじめにイスラムについて、少し話したいと思います。アラビア語で「イスラム」には2つの意味があります。第1は唯一の神アラーに従って生活することを意味し、第2はイスラムに入れば社会や世界が平和になるという意味です。そして、私たちは聖典コーランなど、予言者が書き残したものに従って生活しています。コーランには男女は平等だとはっきり書かれています。国や文化の違いによって男女の差別などがあるのは、それぞれの国の文化の問題であって、イスラムとは全く関係ありません。
また、聖典コーランには、人1人を殺すのは全人類を殺すのと等しく、1人の生命を守ることは全人類の生命を守ることに等しい、とも書かれています。もう1つ、最近イスラム原理主義という言葉がよく使われていますが、イスラムには「原理主義」という考え方は全くありません。辞書を引いてみると、原理主義は西側のキリスト教の言葉なのです。
他国の軍隊がアフガニスタンに勝ったことはない
次に、アフガニスタンの歴史についてお話します。歴史上、アフガニスタンはいろいろな国から何度も侵略を受けました。ところが、どの国もアフガニスタンに勝ったことはありません。まず1838年にイランのカジャール朝軍がヘラートを包囲しましたが、追い払われました。1839年と78年にイギリスが侵略してきましたが(第1次、第2次アフガン戦争)、敗北して逃げ帰りました。1919年の第3次アフガン戦争でも、イギリス軍は5万人も戦死して、やはり逃げ帰りました。
以来、アフガニスタンは外国からの侵略もなく、平和な時代が続きました。ところが、1979年にソ連軍が侵攻しましたが、10年後の1989年、やはり敗北して撤退しました。このアフガニスタン侵攻が、ソ連邦解体の引き金になったのは、皮肉としか言いようがありません。
この後、アフガニスタンは本当は平和な国になるべきだったのです。ところが、ソ連軍と闘ったムジャヒディンの7つのグループが、ソ連撤退後に権力争いから、内戦に突入してしまいました。そこにタリバンが登場し、ここ5年間ほどタリバンがアフガニスタンを支配しましたが、「9.11」後のアメリカの空爆を中心とするタリバン掃討作戦によって、タリバン政権が打倒され、現在に至っています。
UNHCRはただ傍観するだけ
これから、アフガニスタンの難民問題や私たちマスジド大塚の活動について、お話したいと思います。昨年12月から今年1月にかけて、川崎さんの写真にもあったジェロサイキャンプに、12万人のアフガニスタン人が難民として入ってきました。パキスタン政府はこの人たちを難民認定し、近くのシャムシャットゥキャンプに移動させました。そうしたらそれからわずか2日間で、さらに8万人が国境を越えてやってきてしまいました。
これにびっくりしたパキスタン政府は、これ以上難民は認めないと言明しました。私は今年の2月に、支援活動のためにパキスタン入りしていたので、パキスタンの外務大臣と会って難民の受け入れをお願いしましたが、これ以上難民を受け入れると、パキスタン人口の半分がアフガニスタン人になってしまう恐れがあるので、これ以上は無理、という説明でした。
ジェロザイキャンプは非常に狭いにもかかわらず、8万人(1万4,000 世帯) もの難民で溢れていました。彼らは食べるものがなくて、動物の餌まで食べていたのです。これは私が実際に目撃しています。その上トイレもなく、最初のころは水もありませんでした。衛生状態が悪化して、肺炎などの病気が流行しました。
そこで、私は対応策を相談するために、最寄りのUNHCR(国連人権高等弁務官)のテントを訪ねました。彼らがどんな活動をしていたのかというと、死んだ子どもを土葬することだけでした。彼らは食料や薬品も持っていたにもかかわらず、彼らは難民認定されていないので、何も渡せないというのです。それが規則なのかもしれませんが、馬鹿げています。彼らの目の前で、毎日毎日何十人という人たちが死んでいっても、彼らは見ているだけで、なにもしませんでした。
私たちはお金を工面して、8万人全員にナン(パンの一種)やミルクを配ったり、病気の人には薬を届けるなどの活動を行いました。それから、空爆開始前に日本で古着を集めて現地に送る活動を始めたところ、多くの日本の方たちの協力によって、45台のコンテナ一杯の古着を、現地に送ることができました。
私は、去年の11月から今年の1月までの2か月間、支援活動のためにパキスタン、アフガニスタンに入っていました。カンダハルやカブールの病院には、空爆のためにケガをした一般市民など膨大な数の患者が詰めかけていましたが、輸血のバッグや注射器が大幅に不足していました。そこで、これらの医療器材をパキスタンで買い付けたり、寄付してもらったりして、病院に届けました。
サリンガス使用の疑いもある
現地で多くの人たちの要望を聞いてびっくりしたのは、彼らが一番ほしがったのはガスマスクだったことです。なぜなら、アメリカ軍が現地でサリンガスなどの化学兵器や、劣化ウラン弾などを使っているからというのです。複数の医者の話では、検査器材が無いので確認はできないけれど、化学兵器使用によるものとしか考えられない症状が、多く見られるということでした。もちろん、こういう事態については、マスメディアでは一切報道されていません。
それから、現地の病人の中には、結核に冒されている人たちが、非常に多いのです。この治療のためには、同じ薬を1年も飲み続けなくてはなりません。このための薬代金は日本円で約1万8,000 円です。これだけのお金があれば、1人の患者を救うことができるわけです。私たちもできるだけこの結核治療薬を買って、アフガニスタン中の病院に配っています。
また、これも現地で活動しているマレーシアの女医さんから聞いた話ですが、何十キロもの山道を歩いて逃れてきた女性たちが、激しい腹痛を訴える例が多いそうです。この原因は、途中でなにも食べる物がないので、空腹を抑えるために、彼女たちは石を食べながら歩いてきたことだというのです。これ以上気の毒な話があるでしょうか。
アフガニスタン人は人間扱いされていない
パキスタンの新聞には、こんな話も掲載されていました。カンダハルの近くの難民キャンプでは、ある西側のNGOが、まだ認可もされていないワクチンを子どもたちに飲ませて、人体実験を行っているというのです。そのために多くの子どもたちが死んで、この事実が明らかになりました。パキスタンの保健所が、あわててこのワクチンの使用を禁止したものの、現地のUNHCRと仲のいいこのNGOは、相変わらず“医療活動”と称するものを続けているそうです。こういう事例は、西側がアフガニスタンの人々を、人間とは思っていないことの端的な現れだと思います。
また、パキスタンの新聞には、アメリカの石油会社が、1,000 ドルもの高給で現地人のエンジニアの募集広告を掲載しているのです。現地のNGOの話では、すでに石油や天然ガスのパイプライン工事が、始まっているそうです。こういう動きを見ると、あのアメリカの空爆が、本当にオサマ・ビンラディン氏やタリバンを一掃するためのものであったのかどうかについて、考え直さなければならないという思いにかられます。
さらに、賄賂を払って、タリバンの捕虜を収容しているカブールの刑務所に入ったジャーナリストは、拷問のために鼻を削ぎ落とされたり、指を切断されたりしたまま放置されている、多くの捕虜たちのむごたらしい様子を、やはりパキスタンの新聞に発表しています。
以上、私の支援活動の経験や現地の新聞紙上に現れた、現地の悲惨でおぞましい状況について報告させていただきました。これから私たちの活動のビデオを上映します。併せて、みなさんのご参考になればさいわいです。有り難うございました。
2003 ユーラシア紛争地フォーラム実行委員会